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「月の渡る道」 作 : 遠野千里 様 夢を見ていた。 水面に映るように不鮮明な風景が、ちらちらと現れては 本のページをめくるようにさえぎられて消えてゆく。 ラジオのチューナーを変えるように、聞きなれた声が 断片の言葉を残しては途切れる。 帰り道の途中、しん、と冷えた空気。友達が他愛無い話をする。 すみれ色に染まる空を見ながら、私は白い息を笑い声とともに吐き出す。 かんかんかん、と音を立てながら黒と黄色のバーが降りてくる踏み切り。 またね、と分かれ道でひるがえる手のひら。 早くも紺色に移りかけた空に、白い月と宝石を砕いてばらまいたように星が光る。 冬の空に、ひりひりと揺れる光を見て、 さむいとさみしいは似てる、と訳もなく思った。 夕食の支度をする香りがただよう石畳をたどり、家の扉を開けば母親の声が 「おかえり」と応えてくれる―――。 そこでふっと目が覚めた。 ようやく見慣れてきた天井が目に入って、 ほんのひととき、故郷に帰っていたことに気づく。 夢の中で感じていた、さらさらとした冷気がだんだんと遠ざかってゆく。 それを感じながら寝台の上でひとり、もどってくる現実感に瞬きもできない。 喪失感が胸を穿って、涙があふれた。 かけはなれた時空にある、私の故郷。 手のとどかない遠いところ。 両親や友達のことをなつかしいと思えるほど時は経っていなくて、 思い出すだけで胸をえぐられるように切なかった。 いたい、と目をふせると涙がこぼれてシーツの上を転がった。 帰りたい。 会いたい。 ―――さみしい。 ☆ 鼻をすすり上げて、ひざを抱えていた腕をほどくと、泣きすぎてひどい頭痛がした。 頭の中が白く濁った水でいっぱいになったように重い。 このままにしておけば、明日にはまぶたが腫れて アトルに心配をかけてしまうだろう。 とろりとした疲労感がまとわりつく体を引きずって、部屋を出た。 髪をとかして、顔を洗うとようやくためいきがこぼれた。 固く絞った布で目をおおって、上を向く。 ―――朝にはいつもどおり笑顔で、アトルにあいさつが出来るといいな。 「…コーラル」 「ひゃっ?!」 跳びあがってふり返ると、ランプを手にしたアトルがいた。 「どうかした?」 私の驚きようにくつくつとアトルは笑う。 「……ううん。べつに何もないよ」 「…目が赤いよ。本当になんでもないのかな?」 頤をすくい上げられ顔をのぞきこまれて、今度は心臓が跳びあがる。 「えっと、その。ただ、ちょっと頭が痛くて、それで」 しどろもどろに言い訳をすると、そっとこめかみに手が添えられた。 魔法の詠唱が涼やかな風となって通り過ぎると、 熱がこごったような頭の痛みはうそのように消えていた。 「―――直った?」 いたわるような物柔らかな微笑に胸が詰まった。 こんなに大切に守られていて、いつもそばにいてくれて。 それなのに どうして こんなにも さみしいのだろう。 治まっていたものが、あっという間にこみ上げて頬にこぼれた。 「なんでも、ないの」 頬に差し伸べられるアトルの手をさけて、 ありがとう、大丈夫と口にする間も涙はこぼれ続けた。 「まだ、どこか辛い?」 肩に置かれた手のぬくもりが愛しくてかなしかった。 違う、と云うかわりに、だまったまま頭をふった。 「何があったのか……聞いてもいいだろうか」 「…ごめんなさい」 考えていたことをすべて話して思い切り泣けたら、どんなに良いだろう。 しゃくりあげると抱きよせてくれたので、そのまま泣き続けた。 「ごめんなさい」 優しくしてもらうばかりで。 帰りたいなんて考えて。 ☆ 水滴のついたグラスが目の前に置かれた。 恥ずかしいくらい泣き続ける私を居間の椅子に座らせて、 アトルは何も聞かずに向かいの席に着いた。 私の感情の波が引くのを、ただ待っていてくれる、心地良い沈黙だった。 グラスの中身は冷えた水で、口に含むとほのかな柑橘類の香りがした。 「……君が思うことや考えることを、 私に遠慮して押し殺すことはないのだよ」 「―――そんなこと、してないよ」 あわてて打ち消すと、声がかすれた。云えないことの上にうそが降りつもる。 アトルは、静かにため息をついた。 ぎし、と向かいの椅子がきしむ音がするとランプの光が落ちた。 室内唯一の明かりが消える。 「…え、やだ。アトル?」 光に慣れていた目には何も見えなくなってうろたえると、手を引かれた。 「ほら。おいで」 居間の両開きの窓をアトルが開くと、窓だけ切り抜いたように 暗闇から浮かびあがった。 さえざえとした月と、紺碧の空にひしめく星がまばゆいほど光り輝いていた。 「わあ……」 暑気を含んだ濃い風がゆるやかに髪を梳いてゆく。 夜空に散った花びらのような星の中に、上弦の月がかかって大輪の花のよう。 「―――星は月の涙だという話を、知ってる?」 「涙、ですか」 首を傾げた私に、アトルはやわらかく微笑んだ。 空には、満月には少し足りない、まろやかな形をした月。 「そう。自分の周りが闇ばかりだということを悲しんだ月が 落とした涙だというんだ」 私は窓から体を乗り出して、夜空を眺めた。 細かなきらめきに囲まれた月の間近に、強く光を放つひときわ大きな星が見えていた。 「でも、もう星が増えないのは、月はさみしくなくなったってことでしょう。 ほら、すぐ近くにいる星があるから」 その星を指差して、ね?とアトルのほうを向くと、長い指が私の目尻をぬぐう。 「一番新しい涙だとは、思わない?」 面白がっているような問いは、落ち着いていてやさしい。 「そう…かなぁ。そうとも考えられるけど…… もしかしたら、友達なのかもしれない」 「―――友達?」 「月が、暗い場所を巡らなくてもすむように、たくさんの友達が 道を照らしているの。星が照らす道を渡るなら、きっと、さみしくないよ」 見渡す限り、点点と光のともる道を思い浮かべて、私はうれしくなった。 ほろほろと涙を落としながら夜を渡るのではなくて たくさんの友達とおしゃべりしながら空を巡るなら きっと楽しいはずだと思った。 「そうかな?」 「そうですよ。きっと」 大きく頷きながらいうと、笑い含みの声が聞こえた。 「ずいぶんな自信だね、お嬢さん」 「絶対そうだ、って思ってるわけじゃないんだけど…… そんなにさみしいなら、月は毎夜昇ってこられないと思うの」 言い切った私をしばらく見つめて、アトルはやれやれ、と頭をふった。 「…俺が、励ますつもりだったんだがな……」 「え?」 つぶやいた内容を聞き返すと、満面の笑みが向けられる。 「…なんでもない。星が涙でなく、先の見えない道を照らすものなら… 私も君という月の道を照らす星でありたいと願うよ」 肩を抱き寄せられて、こつん、と額をあずけられた。 「だから、ひとりで泣いて欲しくはないのだよ」 ささやきが落ちると同時に、包み込まれるように抱きしめられた。 初めて会ったときは怖ろしかった闇の魔力の波動に包まれて、 これ以上ないほどに安堵する。 「……うん。ありがとう」 云うまいとしたさみしさも、泣きたい気持ちを抱えたかたくなな心も アトルのぬくもりにほどけてゆく。 故郷の夢に感じた切なさはなくならない。 けれど、行き場のない痛みはなぐさめられて、 眸を閉じるように穏やかになってゆく。 いつも私のそばにある、やさしく暖かな、安らぎの闇。 そんなことを考えて、ふと思いついたことに私は微笑んだ。 「……あのね。アトルは、私にとっての夜なの。 さびしさも涙もみんな包み込んでくれる、安らかな夜なんだよ」 私がそんなことを言うとは思わなかったのか、驚いたように軽く目を見開くアトル。 めったに見ない表情のアトルがおかしくて、思わず笑みがこぼれる。 首に腕を回して、耳元で歌うように。 私の心すべてをこめてささやく。 「大好き」 太陽のように闇をてらせなくても。 闇に抱かれて、月のように。 星にかこまれて、先の見えない空を渡ろう。 終 |
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遠野千里様から頂きました、コーラルとアトルのお話です。 夜に浮かぶ月と星になぞられた優しい物語。 互いに支え合う様に語られる、コーラルとアトルの心の会話。 1歩、また1歩と前へ進もうとする二人が、とても素敵だなぁと思いました。(^-^) 素敵なSS作品をありがとうございました。 2004年10月13日 : 中原 良 |